ディズニーランド
東京ディズニーランドの駐車場はだだっ広い。収容台数は1万8千台というから、途方もない。そこで迷子になったのだった。
夏休みのある日の朝、家内の運転する車で来て、駐車し、勇んで入園した。幼い子供たちが遊び疲れて、親も疲労困憊して、まだ陽の高い時間だったが、もう帰ろう、ということになり、さて駐車場に戻ったのはいいけれど、自分たちの車をどこに停めたか、誰もわからないのだった。というよりも、来たときにはまだまばらだった車が、いまはぎっしりと並び、景色は一変していて、停めたときの位置感覚を復元しようもないのだ。車、車の氾濫に圧倒されて呆然とするばかり、園内での興奮でくたびれはてた家族に真夏の午後の直射日光は容赦なく、隠れる日陰ひとつないアスファルトの上で炎暑に灼かれて途方に暮れた。疲れた足を引きずっても、地道に一列づつ探して回る他に策はない。アスファルトにうずくまる家内と子供たちをおいて、仕方なく私がふらふらと探索しはじめた。広大な駐車場のところどころに定間隔で高い鉄柱が立っており、その先端に区画の番地が掲げられている。私のようなうっかり者が、自分の車を停めた場所を見失わない目印にするためなのだ。しかし、停めた時にそれを銘記していなければ意味はない。果てしない海原を漂流しながら当てもない救援を待っているような徒労感を押し殺し、駐車の列を見て歩く。自分のに似たような色形の車が見える度に、おっ、と内心色めき立つのだが空振りの連続で、そのうちに自分の車の色の記憶さえ怪しくなりかけ、疲労感はいやが上にも増幅される。30分余りも探し歩いたろうか、やっと自分たちの車を見つけ、ナンバープレートの番号を確かめて、今度こそは鉄柱の先端に掲示されている番地を覚え、口の中で唱えながら、汗を拭き拭き家族の元へ引き返した。
首里城
家族三世代で沖縄旅行をしたときの思い出。私の家族4人、私の両親、家内の母、の計七人の大人数だったので、移動には大型のタクシーを使って首里城へ行った。火災で焼け落ちるずっと前のことだ。天守の下の駐車場でタクシーを降り、もう脚が衰えて天守までの坂道を歩いて登るのは難しい父を借りた車椅子に乗せて押して行った。見事な石組みや重厚な天守を見て、まただらだらの坂を車椅子を押して下り、駐車場に戻ったのだが、さて、そこには乗ってきたのと同じ型の大型タクシーがひしめいているのだった。車の屋根には固有の番号を付けた札が掲げられていたが、どれが我々のタクシーか、見分けがつかない。さあ、困ったぞ、どうしよう。思案投げ首で、どんな色の車だったっけ、運転手さんの名前は何だったっけ、などと狼狽えているいるところへ、長女が、D487だよ、と車の番号を言う。えっ、と驚いてその番号の車を探すと、たしかに我々を乗せてくれた運転手が待っていてくれた。車を離れるとき、番号を覚えておかねばなどとは思いもしなかった。長女とてこれは覚えておかなくてはと意思したわけではないのに、すらっとそれが出てきたという。数字を覚えていたというより、記憶の中の映像の数字を読み上げたのだ。
ある出来事の周辺の情景を細部まで鮮明に覚えているという彼女の異能は、過去の出来事が話題に上がった折々に、それまでもたびたび発揮され、家族を驚嘆させたものだが、この度は本当に有り難かった。娘が覚えてくれていなかったら、見知らぬ土地でおろおろうろたえるばかりで、どうなっていただろう。