生まれて初めて観た映画は『喜びも悲しみも幾歳月』(注1)だったと思う。たしか小学校に上がる前だったから、封切りからそんなに経っていない頃のはずだ。その頃は町に映画館が二軒あって、月替りぐらいで新しい映画が上映されており、都市を一巡した封切り作が田舎町にも回ってきたのだろう。着物姿の母に手を引かれて駅からかなり離れた映画館まで底冷えの中を歩いて行ったのを覚えている。荒れ狂う波の暴威や、闇夜の空襲の場面を断片的に覚えているのは、後年テレビで再放送されたのを見たときに作られた記憶かもしれないが、主題歌の記憶は強烈に残っていて、これは初見のとき聞いた歌の記憶だといってよかろう。映画の中で繰り返し流れて、少年の耳にもこびり付いたのだ。その旋律と歌詞が、なんの脈絡もなしに不意に耳底で鳴り渡ることがあり、その度に「おいら岬」とはどこの岬だ、とずっと不思議に思っていたから。文字で歌詞を読みその誤りを改めたのは、何十年か後のことだが、いまでも唐突にその旋律が脳内で高鳴ることはあり、「おいら岬の〜」は岬の名前ではなくて、「私は、岬の〜」という意味なんだぜ、と頭の中で確かめ直している。
脳内音楽といえば、耳にタコができるほど聞かされる流行曲やCMソングのことが多いが、真夏の炎天下を歩いているときに鳴り響く「ジングルベル」とか、朝の洗顔時にいつのまにか鳴っている「愛国行進曲」の「見よ東海の空晴れてー」とか、ひと昔前のテレビドラマの主題歌など、なぜ今ここで蘇るのか、と鳴っていることに気づいて訝しがるような不可解な「選曲」が多い。何が選ばせているのだろうか。
(注1)『喜びも悲しみも幾歳月』1957年 監督:木下惠介 主演:佐田啓二、高峰秀子
(注2) 町の映画館で観た最後の映画は「史上最大の作戦」だった。中学一年生のときで、台風の風雨の中を自転車を漕いで観に行った記憶がある。併映された別の洋画(題名は覚えていない、戦争映画ではなかった)の字幕で、「怪我」という単語が頻繁に現れ、「かいが」と脳内で読んでいたが、意味がわからなくてストーリーが辿れなくなったのを鮮明に覚えている。テレビの普及につれて二軒の映画館は次々に潰れ、高校生の頃にはもう映画は都会に出ていかなければ観れない娯楽になっていたろう。学校の体育館などで暗幕を引いて巡回の映画が上映されたりするのを除けば。
(注2) 町の映画館で観た最後の映画は「史上最大の作戦」だった。中学一年生のときで、台風の風雨の中を自転車を漕いで観に行った記憶がある。併映された別の洋画(題名は覚えていない、戦争映画ではなかった)の字幕で、「怪我」という単語が頻繁に現れ、「かいが」と脳内で読んでいたが、意味がわからなくてストーリーが辿れなくなったのを鮮明に覚えている。テレビの普及につれて二軒の映画館は次々に潰れ、高校生の頃にはもう映画は都会に出ていかなければ観れない娯楽になっていたろう。学校の体育館などで暗幕を引いて巡回の映画が上映されたりするのを除けば。