蔓植物はどうやって巻き付く対象を見つけるのだろうか、と目にするたびに不思議に思う。朝顔にしろ、糸瓜にしろ、藤にしろ、アケビにしろ。眼があるわけでもないのに、相手を見つけ、巻き付いては上へ上へ登り、てっぺんでもう巻き付く相手がいないと自分自身に絡みついていたりする。絡みつかれた宿主にはなんの益もなく、絞め殺されて枯れてしまったりもするのだ。
朝顔の蔓の尖端が、巻き付く相手を探して風に揺れている。植物らしからぬ、狡くも不撓の意志が、揺れながら撓りながら空間をすみずみまで撫で回し、なにかに触ればすかさず巻き付こうと身構えている。相手がいなければ地を這うまでだ。匍匐し、また立ち上がり、戦ぎながら相手を探す。対象を触知する感覚を持ち、その感覚に駆動される運動が巻き付きだ。知覚と運動の連鎖を知性と称ぶなら、それは紛れもない知性である。
蔓に巻き付かれた痕跡を深く刻まれながら、その蔓を振り払って太く育った木の幹はよく見かける。あるとき、蔓に巻き付かれて悶えながら成長した宿主の方の幹なのか、巻き付いたまま歪に太って宿主を殺した寄生者の方の蔓なのか見分けがつかない、捻じ曲がった樹を見た。撚り合わせた二本の紐のうちの一本を捩れたまま取り出したような、螺旋をえがく幹だった。
また別のとき、林の中で異様に細い木がやや傾いで立っているのを訝しく思い、その細い線に沿って目を挙げると、地面からはるか上で別の木の枝に絡みついている。細い木と見えたのは藤の蔓で、地上数メートルでやっと絡みつく相手に遭遇したようなのだ。どうやってそんなに高く、支えなしに伸びることができたのか不思議でならず、それから何度推理をめぐらせても腑に落ちる答えにはたどり着けなくて、疑問はあえなく地面を這っているのだった。