有島武郎論・序論 3

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 これまで見てきたような有島の心性が最も強く作品の構成自体として表出されているのは『お末の死』(一九一四・一)である。この一篇に、下層貧民の悲惨な生活に対する有島の同情の深さや、彼の社会的視野の広さを証す作品であるという以外の評価が与えらたことがあるかどうか、私は寡聞にして知らない。なるほど、女の作品の主人公は貧民街の床屋の一四才の少女・お末であり、描かれているのはその床屋一家の、半年のうちに五度も葬式を出さねばならぬ悲惨な生活であり、かつまた有島の筆はよくそのディテールを留めている。その意味では、これらの評価は首肯できるし、逸してはならぬ指摘ではあるだろうが、この作品の真のモティーフにまで届いておらず、素材の表面的な分類を出ないものであると言わざるをえない。
 私見では、『お末の死』の一等深いモティーフは、他者を死に到らしめた者は生き続けるべきでない――という有島の倫理意識に発している。『心』の先生が自裁するのは漱石の倫理意識の必然的な帰結であったが、それとお末の運命の間には一面のアナロジーが成立する。お末の家では、春に長く病臥していた父が、初夏には次兄が、相次いで病没する。世相は不景気で沈滞しているなか、長兄が盛り立てようと奮闘している家業を、遊びたい盛りのお末も手伝っている。ところが、彼女は弟(力三)と他家に嫁している姉の赤児を《殺》す。

 
(弟が―引用者註)手には三四本ほど、熟し切らない胡瓜を持っていた。
「やらうか」
「毒だよそんなものを」
然し働いた挙句、ぐっすりと睡いったお末の喉は焼け付く程乾いて居た。札幌の貧民窟と云はれるその界隈で流行り出した赤痢と云ふ恐ろしい病気の事を薄々気味悪くは思ひながら、お末は力三の手から真青な胡瓜を受け取った。背の子も目をさましてそれを見ると泣きわめいて欲しがった。
「うるさい子だよてば、ほれッ食へ」
と云ってお末はその一つをつきつけた。力三は呑むやうにして幾本も食った。

 
 まず姉の児が発病してその日のうちに死に、弟・力三も数日後に死ぬが、お末には腹痛があっただけで発病をまぬがれる。弟もお末も河原で拾った胡瓜を食べたことを家族に匿しとおすが、母は鋭く見抜いている。

 
続けて秘蔵の孫と子に先立たれた母は、高度のヒステリーにかかって、一時性の狂躁に陥った。死んだ力三の枕許に坐ってきょろっとお末を睨み据ゑた眼付は[中略]はっきりお末の頭の中に焼きつけられた。
「何か悪いものを食べさせて、二人まで殺したに、手前だけしゃあしゃあして居くさる。覚えて居ろ」
お末はその眼付を思ひ出すと、何時でも是れだけの言葉をまざまざと耳に聞くやうな気がした。

 弟の四九日にあたる日、お末は遊びにかまけて家業の手伝いを怠り、母から《生きていばいい力三は死んで、くたばっても大事ない手前べのさばりくさる。手前に用は無え、出てうせべし》と手厳しく詰られ、その時は《死ねと云つたって死ぬものか》と内心反発する。しかし、母を逃れて行った姉の嫁ぎ先でも愚痴と小言をきかされ、赤児の赤痢の原因はお前ではないかと訊かれるにおよんで、自殺を決意する。翌日、彼女は消毒用の昇汞を服毒して、家族の懸命の介抱も功を奏さず悶死する。
 以上が『お末の死』の粗筋だが、お末は胡瓜を食う寸前、流行していた赤痢に対する怖れで一瞬躊躇するものの、生理的な喉の渇きがそれを押し切ってしまい、自分も食べ赤児にも与える。しかも、赤児と弟は共に死に、弟に引きずられた恰好であったとは云え弟が胡瓜を食うことを阻むことが出来なかったし、自分もまた食ったという点においては弟と同罪である自分だけが、死からひきはずされて生き残るのである。彼女の罪の意識はこれによって二重化され、さらに胡瓜を食ったことを家族に匿していることによって三重化される。彼女がもっと幼かったならばこの罪の意識からまぬかれ、無自覚のまま通過することができたであろうし、周囲も指弾することはなかったであろう。また、もう少し年長ですれっからしであったならば、拾ったものを食うほどにひもじい思いをしているのは家が貧乏なせいだ、というような理屈をこねたかもしれないし、それ以前に、赤痢に対する理性的な判断が渇きを制しえていたであろう。つまり悲劇は生じなかったであろう。しかし、有島は主人公をそういう抜け道を封じられた存在として設定しているので、一四才の少女がこういう二重三重の罪悪感に苛まれ、その上そこを肉親から衝かれることによく耐えうるものではない。有島は周到なプロットを組み立てて主人公を自己処罰すべき必然的な理路に乗せていると云うべきであり、わたしはこの作品の構成のゆるぎなさのうちに、一篇の最も深いところにあるモティーフを見定めたいと思う。それは、どんな偶然からにせよ、他者を死に至らしめた者は自ら死ぬ他にはその罪障感を拭うことはできないのだ、という有島の倫理意識であり、主人公はそれを追認し確証するかのように服毒して死ぬのである。云い換えれば、一旦は自分から引きはずされた運命=病死を自らの手で演じる他に二重三重の罪悪感を解きほぐす方途は見出だせないような位置に主人公を立たしめているのは、有島の倫理意識であり、この作品の構成は有島の倫理意識のメカニズムと密接に照応している。
 この作品の直後に、有島はもう一篇の注目すべき短編を書いている。伊藤整がつとに「激情の作家」たる有島の「表現の根なる肉体的な天賦の力」が秘められている作品として着目した(註10)『An Incident』(一九一四・四)がそれである。私もまた、伊藤とは別の視点から、この作品が有島にとって本質的な表現であると考える。本多秋五の卓抜な比喩を借りれば(註11)、この作品は、『カインの末裔』『或る女』等の「飛翔」状態にある作品と、『半日』『卑怯者』「溺れかけた兄妹』等の「翼を収めた」状態にある作品を繋ぐ位置にある。
 題名が示すととおり、あつかわれているのはどんな家庭にもざらに生ずるであろうような《an incident》――冬のある夜、駄々をこねて寝つかぬ児とそれをあやす妻の手ぬるさに業を煮やした主人公が、児を折檻する――にすぎない。おそらく有島自身の体験が下敷になっているのであろう、特に巧みである訳でもないこの作品が注目に値するのは、次のような箇所を含んでいるからである。

 
 張り切った残酷な力が、何等の省慮もなく、張り切った小さな力を抱へてゐた。彼はわななく手を闇の中に延ばしながら、階子段の下にある外套掛けの袋戸の把手をさぐった。子供は腰から下が自由になったので、思ひきりばたばたと両足でもがいてゐた。戸が開いた。子供はその音を聞くと狂気の如く彼の頸にすがり付いた。然し無益だ。彼は蔓のやうにからみ付くその手足を没義道にも他愛なく引き放して、いきなり外套と帽子と履物と掃除道具とでごっちゃになった真っ暗な中に子供を放り込んだ。その時の気組みなら彼は殺人罪でも犯し得たであらう。感情の激昂から彼の胸は大波のやうに高低して、喉は笛のやうに鳴るかと思ふ程燥き果て、耳を聾返へらすばかりの内部の噪音に阻まれて、子供の声などは一語も聞こえはしなかった。外套のすそか、箒の柄か、それとも子供のかよわい手か、戸をしめる時弱い抵抗をしたのを、彼は見境もなく力まかせに押しつけて、把手を廻し切った。
その時彼は満足を感じた。跳り上りたい程の満足をその短い瞬間に於いて思ふ存分に感じた。

 こういう「激情」表現は、《カインの末裔》たる広岡仁右衛門の凶暴な行動や、早月葉子の奔放なふるまいの描写に相通ずるものである。日常生活の一齣としてみれば、ただの一過性の癇癪の発作でしかありえないが、その興奮が去って行くときの感覚を、《インスピレーションが離れ去っていくやうな――表面的な自己に還っていくやうな――何者かの世界から何者でもない世界へ這入るつて行くやうな――》と書いている点は重要である。なぜなら、有島はこういう《激昂》状態こそ本来的な自己の実現であり、その余の状態は《表面的な自己》の世界であるに過ぎない、と云っているからである。彼はこの作品の冒頭近くで《普段滅多に怒ることのない彼には、自分で怒りたいと思った様々の場面を、胸の中の棚のやうな所に畳んで置いた》と註釈しており、また実際、有島が日常生活において温和な紳士であったことは、近親の証言の証明するところである。常住坐臥の《表面的》な円満さの下で演ぜられている自己抑圧の機制については、これまで論じてきたとおりである。一般的に云えば、一時的な癇癪の暴発などに深刻な意味を見つけることはいらぬことであろう。しかし、有島は昂揚状態が去ったあとの気味なさを《後悔しない心、それが欲しいのだ。色々と思ひまはした末に茲まで来ると、彼はそこに生甲斐のない自分を見出した。敗亡の苦い淋しさが、彼を石の枕でもしているやうに思はせた。彼の心は本当に石ころのやうに冷たく、冷えこむ冬の夜寒の中にこちんとしてゐた。》と書いて、彼自身にとってはこの種の体験がただならぬものだったことを示している。昂揚の絶頂で彼が感ずる《満足》は、自己抑圧の反動であり、《妻の眼の前で子供をつるし切りにして見せてやりたい》ほどの凄惨な心躍りから《敗亡の苦い淋しさ》までの極大の振幅は、彼の自己抑圧の強度に比例している。そして、その自己抑圧の破綻において《思ふ存分》の《満足を感じた》という心的体験は、彼に偽善意識とでも云うべきものを強いたはずである。偽善意識とは、《生甲斐》のある自己と《表面的な自己》の乖離に対する自覚であり、この自覚の痛切さを有島は《敗亡の苦い淋しさ》と書いたのである。もちろん、この作品に描かれた小事件がその初めての体験であった訳ではなく、彼は同様の事態に何度もみまわれ、そのたびに《敗亡》感を味わったのである(註12)。この繰り返しは、《生甲斐》にとっての桎梏である自己抑圧がほとんど所与の自動的な過程であるために、意識的な反省の対象となり難いという制約を乗り越える契機を与えた、と考えられる。『二つの道』(一九一〇)から『内部生活の現象』(一九一四)を経て『惜しみなく愛は奪ふ』(一九二〇)にいたる階梯を貫く基軸は、このモティーフの展開であった。『An Incident』一篇は、その体験的端緒を定着させているという意味で注目に値するのであり、『カインの末裔』や『或る女』が顕現してみせたのは、『An Incident』がたしかにその露頭を捉えた、有島の内部に禁圧されてあるpassion(受苦=情熱)の噴出であった。