有島武郎論・序論 註

  註

1 安川定男『有島武郎論』(明治書院版一九六七)による。一九一六年までを「作家前史」としている生涯区分に従った。

2 瀬沼茂樹『有島武郎伝・2 幼少年時代』(『文芸』一九六三・七)による。

3 瀬沼茂樹『結婚前後の有島武郎(上)』(『文学』一九六六・九)。

4 『座談会 大正文学史』(岩波書店版一九六五)での発言。

5 同時期の有島日記に《愛する父上は、余が捨鉢な行為に陥るのを救ってくださった。もし父上がが余の為に病気におなりにならなかったら、余はただ数人の人の憶ひ出に残ってゐるものとなって仕舞ってゐたであらう》(一九〇八・六・一〇 原文英文)という記事があり、家-父が彼を生存へ繋ぎとめていた強い絆であったことが解る。

6 『新潮』一九一八年六月号に掲載された『有島武郎年譜』の「五歳」の項に「父母からは最も厳格な武士風の庭訓を授けられた。暁晨の剣法、弓、乗馬、大学、論語、灸罰、禁錮。性格は非常にいぢけた。」とある。この年譜は『新潮』の記者が作成したものであるとはいえ、自筆年譜に近いものである。

7  フロイド選集第四巻『自我論』村井恒郎訳(日本教文社版一九七一)所収。

8 瀬沼茂樹『有島武郎伝・1 二つの血』(『文芸』一九六二・一二)。

9 本多秋五『有島武郎論』。『『白樺』派の文学』(新潮文庫版 一九七五)所収。

10 伊藤整『有島武郎Ⅰ』(一九三六)。『作家論』(筑摩書房版 一九六一)所収。

11 註9に同じ。

12 同じ作品の中に、何度も、主人公が癇癪の発作を制しきれず《後になってから本当に臍を噛みたいやうなたまらない後悔に襲はれるのだ》という記述がある。

13 註1に同じ。

14 安川定男は、この《一つの創作》を『実験室』と「推定」しているが(前掲書)、誤りである。

15 北村透谷『厭世詩家と女性』(一八九二)。

16 山田昭夫編『有島武郎年譜』(『近代文学資料10 有島武郎 下』桜楓社版一九七五所収)では、『松むし』という表記になっているが、私は原本を未見なので今は全集の表記に従う。

17 ちなみに『宣言』は夫人加療中の作品であり、引用した箇所は作中最も優れた一節である。

18 山田昭夫『「実験室」覚え書』。『有島武郎・姿勢と軌跡』(右文書院版一九七六)所収。

19 註18と同書。山田は、夫人と父親の死を同列に置いて、二人の死が有島に「いい知れぬ解放感を与えた」と二ヶ所で書いている。

20 註1と同書。

21 西垣勤は『有島武郎の青春』(『有島武郎論』有精堂版一九七一所収)で、この種の論難を行っている。

22 『カインの末裔』初稿(『新小説』一九一七・七)での用語。

23 本論で引用した定稿の一節に相当する場面は初稿では次のようになっている。《主人の部屋に案内されると彼れはすっかり気を転倒させて平服してしまった。彼れは一言も口から出なかった。主人は頭から彼れが小作料を一文も納めず、場規を守らない事を責め立てた。根性のすはり処をなほす積りで帰ったらすぐ退場しろと申し渡した。彼れは夢中になって平服してゐた。》

24 上杉省和が『有島武郎覚書』(『静岡大学人文論集』第二四号一九七三)で、『カインの末裔』と『運命の訴へ』の類似性を、私とは別の視点から指摘している。また、内田満『『運命の訴へ』覚え書』(『同志社国文学』一二号一九七七)が、モデル問題・執筆時期の考証を行っていて、教えられるところが多かった。

25 高山亮二の『有島武郎研究』(明治書院版一九七二)によれば、有島は一九一九年以来、「農場からの収入を拒否している」。