有島武郎論・序論 補論ー病理について

   補論――「病理」について

 本多秋五は有島武郎をわかりにくい作家であると云っている(『わかりにくい有島武郎』)。本多にしてこの言! という想いを禁じえないが、正直な述懐であると思う。私も同感であり、たしかに有島はこういう印象を強いる解りにくさを秘めているのだ。しかし、ひるがえって、人間が他者を理解すること一般の問題の場にまで普遍化すれば、これは全くあたりまえの事態であるだろう。究極的には、この問題は、自己は他者ではない、という自明の条件に遭遇せざるをえないからである。このことを逆に、人を作家論に(一般的には他者に)向かわせる根源はこの絶対的な条件に対する否定の情熱である、と云っても同じことである。
 他の場所で本多は、有島のわかりにくさの背後には「精神病理学的な問題」があると指摘した(『私小説的に見たる『或る女』』)。けれども、今のところそれは問題提起だけにおわっている。私の眼に触れた範囲では、三人の論者がこの「病理」の問題を扱っている。その論者・論文名と所見の要約を列挙すれば――

(i) 小坂晋『有島武郎の性格』(『国語と国文学』一九六二・三)
 有島日記、書簡等から多数の記事を引用し、クレッチマーの体格-気質類型に依拠して有島の循環気質(チクロチミー)を推断している。そして、一九一九年の『或る女』完成以降の《落潮》(『「旅する心」書後』一九二〇・一〇・一〇、他)から立ち直ることができずに情死に赴いた――と結論している。

(ii) 安川定男『有島武郎論』(既出)のうち「『星座』について3」の補注(4)
 『星座』中絶(一九二二)に象徴される晩年の「創作力減退」の精神病理学的原因として、ウツ病(初老期憂ウツ症)があったと推定している。論拠として、下田光造の学説を挙げている。

(iii)春原千秋『現代文学者の病跡』(梶谷哲男との共著。新宿書房版一九七一)
 有島の性格は循環気質とヒステリー性々格の複合であるが、晩年には内因性ウツ病であったとしている。

 三者とも、ニュアンスの差はあれ、循環気質-躁ウツ病質-躁ウツ病という系列に沿った線での診断を下している。
 このうち最も詳細なのは(1)である。しかし、小坂論文は、例えば、一九〇八年五月の自殺未遂事件の前後の日記からかなりの記事を抑ウツ状態の症候として引用しているが、私にはその心因の一つと思われる河野信子の結婚については、なぜか全く言及しておらず、有島の「生物学的深層」(!)にあるとする循環気質を印象づけようとしているのは、重大な欠陥である。また『運命の訴へ』中絶(一九二〇・九)以降の時期に関しても、ただ書けないことからくる訴えだけを書簡等から引用するのみで、作品名すら挙げていない。小坂が有力な論拠としているクレッチマーのいわゆる体格-気質の相関関係(循環気質は肥満型の体格と相関関係にあるとされている)も、けして厳密な対応が成立するのでないことは明らかであるし(『医学的心理学』)、有島を肥満型とみることににも問題があろう。さらに『或る女巻』完結(一九一九)以降を《落潮》期とする見解も、有島が自らの《思想の絶頂》(『「惜しみなく愛は奪ふ」書後』一九二〇・五)と呼んだ『惜しみなく愛は奪ふ』の執筆が一九二〇年三月である点、未完であるとはいえ『星座』(一九二一~一九二三)を残している点、等に関して説得的とは言いがたい。
 (iii)は、精神科医の手になる病跡学研究である。春原は、ヒステリー性々格を追加し、晩年を内因性ウツ病と診断している他は、小坂の所見をほぼ全面的に支持している。  
 (ii)の安川のものは、彼の精緻な『星座』論の傍註という位置をつつましく守っている。私は安川が論拠としている下田の学説に昏いので批判は控えたいが、あえて云えば、安川説をかろうじて説得力あらしめているのは、有島の情死という結果であるにすぎないように思われる。これは三者の論文に共通して云えることである。
 ためしに、私の手許にある精神病理学関係の書物に照らして、有島の「性格」の診断を試みてみればどうか。シュナイデルの『精神病質人格』の類型を適用してみれば、一九〇八年頃の日記の記述は「自己不確実型」の概念によく該当する。また、ミンコフスキーの「分裂性」と「同調性」の二大性格類型によれば、有島は「同調性性格者」であるといってよいであろう。そして、ミンコフスキーは「同調性」を「躁ウツ病及びこれに相当する性格を特徴づける」としているのである(『精神分裂病』)。さらにまた本論で恩恵を受けたフロイドは、躁ウツ病を「超自我」の病と見なしており(『続精神分析入門』『自我論』『不安の問題』)、なおかつ彼が、躁ウツ病のウツ症状から躁症状への転化のメカニスムを「超自我のなかで支配しているものは死の純粋培養のようなものであって、自我が躁病に転変することによって、あらかじめその暴君をふせがないと、しばしば現実に自我を死に駆り立てる」(『自我とエス』)と説明している点は、私にはよく解らなかった有島の父親の死の打撃の克服の仕方の解釈として援用したい気持ちをそそられるところである。フロイドのこの理論を本論の文脈にからめてみれば、次のようになろう。父親の死は彼の「超自我」にはほとんど父親殺し同然のものと受け取られたために、有島の罪悪感は極度に増幅され、この耐えがたい「超自我」の批判から自我を防衛するために、躁状態(それは「自我と超自我が融合している」ので「なんら自己批判によってさまたげられず勝利と自己満悦の気分にひたって、抑制や顧慮や自己非難の停止を楽しめる」状態である―以上『集団心理学と自我の分析』より引用)への転化が起こり、翌一九一七年からのめざましい活動につながった。しかし、『運命の訴へ』中絶頃に再びこの「融合」状態は失われ、「超自我」からの批判が再開されるようになって、《落潮》の自覚となった。
 これらの理論の適用も、三者の所見をくつがえすものではありえず、むしろそれらと合致するように見える。しかし、云うまでもなく私の試みは粗雑なものであり、しかも、私には精神病理理論の中枢とも云うべき正常-精神病質(異常性格)-精神病というようなカテゴリーが立てられるさいの基準が確固たるものであるとは思われないのである。生きた人間を対象とする臨床医家にとっては必要なカテゴリーでもあり、有効性もあるのであろうが、文学作品の理解にとって、小阪や春原が云うほど生産的であるかどうか疑問である。小坂は「人は思想のみで自殺するものであろうか」と書いて有島の「性格」の「精神病理学的考察」に踏み出すのであるが、仮に有島の「精神病理」上の病名が確定できたとしても、彼の作品と生涯が内包している問題をそこに還元することはできないからである。
 (補論了)