藺草いぐさ刈り

 百姓仕事はどれも苛酷だが、藺草いぐさ刈りはその最たるものだろう。よりによって、梅雨明けの土用の酷暑のさなかにに行われる[注1]。藺草の成長が頂点に達する直前であることもさりながら[注2]、この時期、一週間ばかり天候が安定して、晴れの日が続くことが最大の理由ではないかと思う。藺草は、刈ったらすぐに泥水で染めて天日で干す。この時期の強烈な夏の陽に灼かれて、藺草は青いままに乾いて特有の芳香を放ち、畳表の材料になる。

 朝の涼しいうちに刈り取って束ねる。束ねたまま泥水の水槽に沈めて染めた藺草を、道端に沿って這わせた長い縄の上に、泥水がしたたるまま薄く広げて何百メートルも並べていく。表面が乾いた頃に一度裏返し、午後の陽を二時間も浴びせれば、もうぽきぽき折れるほどに乾いて、しかも青さは保たれる。夕立が来ないうちに、急いでその干し草をまた束ね、回収する。
 大人の胸まで隠れるほどの丈に伸びた藺草[注2]を、腰を落として根元から刈り取り、立ち上がっては刈り取った一握りの束を、上から三分の一ほどのところで手に巻きつけ、大きく二度三度振り払う、というより地面に叩きつける。するといっしょに刈られた丈の足りぬ短い茎が振るい落とされて、手には長い丈の草だけが残る。立ち枯れた茎や成長の悪い茎がごっそり抜け落ちると、手はすっと軽くなり、細く径の揃った草の束がしな垂れるのがちょっとした快感である。刈り跡には半端物として捨てられる藺草がうずたかく重なる。
 しゃがんでは、密生したしなやかで勁い藺草を束ねて刈り取る。立ち上がっては、振い落して長い茎だけを選別する。またしゃがんでそれを束ねる。単純な作業を、炎天下で何百回、何千回と繰り返さなければならず、個々の動作にはそれなりに力も要る。一枚の田の藺草を刈り終えるには、数日掛かる。日が高く昇ると、麦藁帽子のてっぺんが焦げて、汗が吹き出し、額から目の中に流れ込む。
 刈り取った藺草は、直径四、五寸ほどに束ねて根元を固く結わえ、泥を溶いた水槽に沈めて泥に染める。武骨な浴槽のような鉄板の水槽に泥染め専用の泥を水で溶き、その中に束ねた藺草を沈める。草には浮力があり、泥水なので浮力は一層大きく、浮いてくる束を上から足で踏みつけ、束の芯まで泥水を染み込ませる。水槽から引き上げるとき、泥水を含んだ束は、二倍にも三倍にも重くなっているのだった。
 藺草は水草で、刈り取る頃にもまだ田は湿っているから、田の中の作業では、直射日光の下でも照り返しは少なく、藺草の、植物の息れを涼しく感じる。しかし、干す作業は炎天の道端で行われるので、下を向いていても道路からの照り返しは容赦ない。路肩に敷いた縄の上に、泥染めした藺草を、薄く広げ、延々何百メートルと並べていく。日射が強いほど乾きがよいが、暑さは恨めしくもある。縄は、薄く広げて並べた藺草を裏返す時や回収する時に、下に敷いてある縄でまとめて持ち上げ、手繰り寄せるのに使うのである。誰が編み出した加工法か、泥で染めると、乾燥が速く、干からびても青味は失せず、藺草の匂いも強められるのだ。
 刈っては染め、染めては干す、という工程を毎日繰り返し、数日掛けて一枚の藺草田を刈り上げる。その間、気になるのは天気である。いくら土用の旱天とはいえ、夕立に見舞われることもある。乾きかけの藺草を夕立で濡らしてしまうと、商品価値が半減する。西の空に黒い雲が湧くと、大急ぎで干した藺草を回収し、雨に濡らせてはならない。くたくたに疲れて一日が終わる。

 

[注1] 藺草の植付けは、真冬に行う。稲と同じように、代掻きして水を張った田に、小分けした苗の株を手差しで植えていくのだ。田の水が凍っていれば、氷を割りながらの田植えになる。母が、私の臨月に、大きいお腹で氷を割りながら田植えをした、と聞かせてくれたことがある。

[注2] 畳表を編むには畳の短径(三尺)より少し長めが材料として適している。また、そのぐらいの長さが、藺草が自立していられる限界ではないかと思われる。放っておけば伸びすぎて自重を支えられずに倒れてしまい、刈り取りが難しくなるから、この時期に刈り取るのが合理的というもう一つの理由もある。二つの理由が重なった絶妙の時期なのだ。