不意に思い出す人

 
 不意に浮かぶ人の名というのがある。同級生だっただけの人もあり、脈絡なくただ唐突に頭に出てきて、その人を覚えていたこと自体に驚くような名もある。
 不意にというのではなく、特定の日常動作、たとえば歯磨き、に連動して出てくる名というのもある。どうして彼の名が歯磨きに連れて浮かぶのか分からない。分からなくて苦しめられるわけではなく、次の動作、たとえば洗顔、に移れば消えてしまうのだが、なぜ毎回彼なのか思い当たる節がないのが困ると言えば困る。ほとんど付き合いはなく、ただしばらく同じ職場にいたことがあるだけの男なのだ。知らないうちに恨みを買っていたりするのか、大いにありそうなことだ。逆に、彼が勝手に恩義を感じてくれている、ということか。厚かましい、と打ち消そうとして、しかし、怨念とか祟りとか陰徳でも余慶でも、そういう呪力的な因果が流通する空間が可能だとすれば、わたしもあの人やこの人の想念に不意に浮かんだり消えたりしているとしなければ釣り合いは取れないだろう、と妄想を広げているうちに紛れてしまう名前ではあるのだ。  
 覚めた後に、なぜこの人が、と怪しむ人が出てくる夢がある。夢にまで見るほど焦がれている、ということは微塵もなく、全く疎遠なのになんの用があるのかと理不尽な訝りが込み上げてきて困惑するのに似ているか。わたしも突然、誰かの夢に現れて、覚めた後の余韻を賑わせていたりするだろうか、と。
 うつつにしろ夢にしろ、お互い、もう出てこないでくれ、とは言えない。一度きりのことなら記憶はあっけなく揮発するが、繰り返すと、あるいは繰り返しに気づくと、なにやら虫封じのような便利なおふだはないか、と探したりする。いや、まじないで駆除できるような虫なら、無用の殺生はいらぬことか。悶えてまた他のところに出たり、蔓延はびこって繁殖したりしかねない、と戒める。