厄災(あるいは、密集した蟻の群れ)

  
 歩道の端に褐色の汚れが広がっていて、眼を凝らすと、表面がぞわぞわ蠢いている。さらにしゃがんで眼を近づければ、それは体長1ミリほどの小さな蟻の群れで、小さすぎて歩行中の目の高さからでは見分けられない。何千匹か何万匹か蝟集し、何層にも折り重なりながら犇めき合い、舗石の汚れのように見えていたのだ。ぞわそわ足元から這い登られ、全身にたかられる幻覚が走り、身震いして屈めた腰を伸ばす。なぜこんなところに、とおそるおそるもういちどしゃがみこんで観察する。どうやら舗石の下に巣を構え、敷石の隙間から地表へ湧いて出たように溢れかえり、赤黒い粘液が広がっているようにも見える。知らずに踏みつけて通り過ぎなくてよかった。しかし、こんなところで巣を営めば、いずれ大惨事は避けられまい。これまで、何度も踏みつけられことがあるだろう。もしかしたら、さっき通り過ぎた人が巣の真上の舗石を踏みしめて通り、精妙に築きあげた地中の構造が瓦解した大惨事の直後か。それとも、蟻にも分蜂のような現象があり、分派が新しい棲家を求めて移動中なのか。いい棲家を選べよ。
 延々と続いている蟻の行列なら度々見たが、それはもうすこし大きい蟻だった。こんなに小さくてしかも数えきれない蟻の密集は初めてだ。行列する蟻には、個体のというより、集団の意志が感じられ、目的地があるのだろうと追跡したことは何度もあるが、行列は草むらとか石垣の隙間とかに見失って、最後まで突き止めたことはない。ふと浮かんだ疑問が徹底的に問い詰められたことがないように。
 ここの、この微小な蟻たちははどんな集団意志で動いているのか、てんでんばらばらに蠢いている、としか見えない。蟻の個体に自由意志がある、として。
 神の視線が俯瞰したら、人間もこの蟻の集団と相似形に見えるだろうか。神がいる、として。
 ビルの屋上から下界を見下ろす。忙しく行き交う人の群れを観察する。あれらの粒々の人間のそれぞれが、何を感じ、何を欲し、何を考え、何を怖れ、どこへ向かうか、昆虫学者のような根気を持ち合わせず、観察は放棄された。辛抱強く、個々の蟻を個体識別できるまで観察を続けたら、博物学者の端くれにでも連なったろうかと悔い、蟻に憑かれて身を持ち崩す生涯がありえたことに慄く。