三つの寓話

  

 
湯殿でシャワーを浴びながら足元を見下ろすと、一匹の蟻が床を流されている。浅いが速い水勢に脚を取られ、足掻きながら排水口へ押し流されているのだ。迷い込んだ浴室でいきなり滝のような水を浴びせられ、抗って踏ん張ろうにも、床はつるつると滑り、流れに掬われ浮かされて、なす術もない。見下ろしながら、いつのまにか我が身を蟻に重ねていることに気づく。不意の洪水にうろたえている蟻を我が身の喩として見ている。ならシャワーを浴びせているのは誰か。危ないトリックに引き込まれそうになって身を竦める。 

 
俯いて足元を見ながらとぼとぼ歩く。歩道の舗石の割れ目に草が生えているのが目に留まる。そのたくましさに打たれ、来歴を空想する。種が風に巻かれて飛ばされ、着地して吹き寄せられた先がたまたまこの割れ目だった。その運と不運を数えているうちに、知らず知らず我が身をなぞらえている。雨が降り、日が当たり、発芽した。踏みにじられずに伸びたが、日照りに苛まれ、根を張る隙間を探しあぐね、アスファルトから乏しい養分をすすってかろうじて葉を広げ、陽の光を受けた。いつ毟られるか、いつ踏みつけられるか、逃げ道はない。 

   
炎熱の路上に干からびて死んでいるミミズをたびたび見る。水に戻せば生き返る生命力を備えていたりするかも知れないが、愚かしくも無残な死体として眺めながら通り過ぎる。雌雄同体なのに自家受精はせず、別個体と交接する。夜明け前の露に濡れた路端から這い出し、道の向こう側へ渡ろうとしたか、配偶者を求めて。当てもなくアスファルトの路上に這い出して、やがて日が照り、路面が熱し、体は干乾びて萎びはじめたけれど、潜り込めそうな潤った地面はどこにもない。瀕死で悶えているのもいれば、蟻にたかられて空しく痙攣で抵抗しているのもいる。人生の寓意を見ざるをえまい。端的に、未来を予告している。いやそれどころではない、只今現在の鏡である。だから口にしてはいけない問いを、否応なしに引き寄せてしまう。しかし、道の向こう側へ渡ったやつもいるのか、彼岸へ。