栃の木をめぐる

 栃の葉の美しさに気づいたのはいつだったろうか。清水谷公園の中を抜けて紀尾井町から麹町のほうへ登る坂道の脇に、とても大きな葉を茂らせて気持ちのよい木陰を作る木があって、その坂道を登り降りしていた頃はまだそれがトチノキだとは知らず、見上げた瞬間には、大きな葉を付ける木だなあ、何という名前の木なのか後で調べようと、と頭の片隅でちらりと思うものの、通り過ぎればすぐ忘れて、あらためて調べることはなかった。  
 銀座を歩いていて、街路樹に薄いピンクの花が咲いているのに気づいたのはここ数年のうちのこと。そのときは花の印象がつよくて、後で調べて、それがセイヨウトチノキ(マロニエ)だと知り、あれ、マロニエって栗の一種なのではなかったのか、と長年の思い込みを改めさせられるということがあった。「マロニエの花が言った」(清岡卓行)でパリのマロニエの描写は読んだはずだが、そのときには思い込みは訂正されなかったようだ。マロニエはセイヨウトチノキのフランス語名で、トチノキと近縁種ではあるが別種であり、実の形や葉の大きさも異なるということも知った。  
 散歩の途次に見かける草木の名前をほとんど知らないことが残念で、時折、気になる樹木についてネットで検索したり(木には名前がある)、PictureThisというスマホのアプリで調べたりするようになり、近所にもところろどころにトチノキの街路樹があって、ようやく栃の名と実体が一致したのはごく最近のことだ。  
 その栃が四季折々に装いを変える。新芽はセミの幼虫が脱皮して成虫へと羽化するような変身ぶり、まだ赤みを残した若葉は飢餓の子供の肋骨のように葉脈が浮き上がっているし、成長してくれば樹下から見上げると大きな葉が重なり合って緑の濃淡のグラデーションをなし、虫に喰われ葉脈がレースのように残るのも面白い。そういう変化を一つの連続体として捉えられるようになるには、栃という種の認識が不可欠だった。