木の殺伐

 切り株をみるたびに目を背ける。背けると同時に禁忌に引き寄せられるように惹かれる。胴体は地中に埋まった斬首の跡を連想させるからか。年輪を数えられるほどきれいな切断面を見ることはまれで、何ヶ所からも斧や鋸やをいれられてずたずたにされている切り株が多い。年輪を数えさせないように切り刻む悪意を感じるときさえある。樹が倒れる方向を調整するために、ためらい傷のような切り口があちこちに生じただけか、伐採を尻込みさせる木の精の威圧をかなぐり消そうとしているのか。二百年生きれば、根元には祠が祀られる神木になったろうに。

 左から、道路拡幅で伐られた神社の境内の端のスダジイの大木(数えられないが、樹齢百年はゆうに超すだろう)。次の二葉は、宅地にされる雑木林の切り株(数十年か)。右は、枯れたために倒された道端のヒマラヤ杉(30以上の年輪を目視できる)。