まぶし

 蔟という文字がある。訓は「まぶし」、音は「ぞく」。養蚕道具の一つで、大辞泉に「蚕が繭をつくるとき、糸をかけやすいようにした仕掛け。わら・竹・紙などで作る。」とある。
 蚕は、ゴマ粒ほどの卵から孵化して脱皮を繰り返し、れいを重ねて4〜5㎝にまで育ち、五齢になって十日ほどするともう餌を食べなくなる。体色が半透明の薄黄色に変わってくると、上半身を擡げて、自らが籠もる繭を作る場所を探しはじめる。この状態の蚕を上がりといった。それら何万の上がりを一頭づつ*指で摘んで拾い上げ、まぶしに移す。上蔟じょうぞくという。蚕はまぶしの中で糸を吐き、自らを包む繭を作る。繭の中の蛹が蛾に変態する前に、繭はまぶしからむしり取られ、集められ、繭のまま蒸し器に入れられて、蛹は蒸し殺される。繭は次に釜の中で煮られてから、糸をほどかれる。一個の繭は千数百メートルの一本の絹糸である。これを数本撚り合わせ、生糸ができる。
 人口の大部分が農民であった頃には常識であった知識が、どんどん廃れ、今ではほとんど忘れられて、まぶしは博物館に陳列される農具になってしまった。モスラの映画が公開された頃、あるいはもっと下って、東海道新幹線が開通して初代の<こだま>が走っていた頃まで、蚕の形姿は常識であったろう。桑がどういう樹木か、目にしても見分けられる人は稀かもしれない。コアラがユーカリの葉しか食べないことは知っていても、蚕は桑の葉しか餌にしないことを知らぬ人は多かろう。もはや桑とも蚕とも全く無縁だから。まして童謡「赤とんぼ」の桑の実の味を知る人はなお少なかろう。ところが、皇居の堀端には桑の木がそこここに見られる。江戸市中で養蚕が行われたとは思えないから、皇室が養蚕するための皇居内の桑畑から、実を啄んだ鳥たちが広げたのではなかろうか。
 前世紀まで盛んだった一大産業が滅びた。養蚕にまつわる様々な道具や技術は、まぶしの文字や民俗学の記録にかろうじて保存されるだろう。家族総動員の不眠不休の上蔟の作業と、蛹になれずに死んだ膿蚕うみこの強烈な腐臭の体験的ディテールは速やかに失われるだろう。蚕の集団が蚕棚の暗闇のなかでてんでに桑の葉を食む、遠い驟雨のような音の記憶とともに。

 蚕は1頭、2頭、…、と数える。虫ではあれ家畜だから。