茅花つばな

 ちがやの若い穂は粗く磨いた銀のみずみずしさで突っ立ち、微風にそよぎ、そよぐときに柔らかく陽の光をかえして白く撓る。道端に生えている群落の穂は車が通るたびにあおられて、いっせいにあるいはてんでになびく。
 幼い頃、あぜ道の茅の穂を抜いて食べた。真上に引き抜くと若い穂は簡単に抜け、噛むと柔らかくうっすら甘味があった。ずっと噛んでいると粘り気が出てガムのようになるのを楽しみ、ひもじさを紛らせた。穂は熟すとほぐした綿のように膨らみ、ぱさぱさでもう食べられない。若穂を<ジュンベ>と呼んでいたが、辞書には見つからない。茅花つばなの訛りとするには無理があり、ごく狭い範囲で流通した方言だろうか。例によってグーグルで検索すると、思いがけず「茅花抜く浅茅が原のつほすみれ今盛りなりが恋ふらくは」(万葉集・巻八、1449)や「わけがためが手もすまに春の野に抜ける茅花そ召して肥えませ」(同、1460)が出てきて、<茅花抜く>や<抜ける茅花そ召し>の既視感に感動する。それは、私が目に止めるほどの嘱目のことどもは、すでに歌われ、枕詞になり、歳時記に録されている。私のささやかな経験も、歴史の端に連なっているという喜びと、茅花を食べた経験は私の世代で絶えるだろうか、また飢餓がきて、茅花の味を万葉にまで遡る世代が出現するだろうか、という怖れの両方を含んでいる。