倒木

 近所のあちこちに里山が残っている。ただ、もともとの薪採りや堆肥のための落葉集めの林という意味を失って放置され、原生林へ戻りつつあるのだろう。国木田独歩の山林は薪や柴や落葉が貴重な資源だった里山であろうし、大岡昇平が歩いた武蔵野もまだその面影は曳いていよう。煮炊きの燃料はガスと電気、田畑の肥料は化学肥料が代替したから、森は杉や楢や櫟が混生するまま手入れされず、落葉は掻かれぬまま厚く重なって積もり、下草も刈られずに伸び放題に藪をなしている。それでも、中へ入る人は絶えてはいないようで、かすかながらけもの道が消えずに続いていたりする。
 久しぶりにその森の気にいりの細道へ入り、台地からゆるい斜面を谷底まで降りかかると、大きな杉が数本、根こそぎ、東向きに倒れており、息をのんだ。根が厚い板のように土塊を掴んだまま空中に露出し、根こそぎ、というのはこういうことか、しかしどういう力が働いたのだろうか、と怪しむ。一番高い木は樹高が20メートルは優に超え、根元の直径は1メートル近い。その周りにも、数本、同じく東向きに倒れているのは杉の木ばかりで、どれもそれなりの大木といってよい。なぎ倒された根が掴んでいる土塊は人の背丈からその倍ほどの高さに達し、地面から垂直に立上がった壁のように見える[1]。杉は案外根が浅いのだ。すぐそばの椎や楢の木はなんともなく直立している。風で倒されたとしか思われないが、吹き寄せた突風が谷底で束ねられたか。ちょうど谷津の湿地の東端の、地上に細い流れが現れる地点だ。杉が根を張った表層土の下を、激しい集中豪雨を集めた伏流水が抉り、そこへ猛烈な風圧が襲ったのではないか。露出した根の周りをうろつき、枯れてもいないのに「どう」と横倒しになる巨木というものもあるのだ、そういう企業もあるよなあ[2]と、埒もない連想に誘われながら、谷津からまた台地の上へ登る。やはり大雨と大風を伴った去年の台風の爪痕だろう[3]。地中では伏流水が表層土と粘土層を裂き、空中では谷筋で加速された風圧が繁った枝葉にのしかかり、足払いと同時に肩を押されてあっけなく転ばされる大男みたいに、大杉も倒されたのか。

[1]
こういう「樹木が押し倒されて根の大部分(根鉢)が地上に浮き上がった状態」を「根返り」というと、太田猛彦「森林飽和」で知った。モノにもコトにもそれに対応する言葉がある、とあらためて思う。

[2]
バブル崩壊で倒れた保険会社、証券会社、銀行。リーマンショックの恐慌であっけなく潰れた金融機関、航空会社。原子力事業にまつわる粉飾で倒産しかかった電機会社。など、など。規模はずっと小さいながら、わたしもそういう企業の破綻で、解雇された者の一人だが。

[3]
2018年台風24号(参照)